考えちゅう。

どきどき、交信中。心の声だだもれぐ。

イラオコしない。理不尽に負けない心のメモ。でも悩む。

私が(ほとんど)他人にイラオコしない理由を考えてみた。 さらに、ちょっとまた理不尽な日々が続いてきたので自分に対するめも。

ムリムリ。どうしよう。悲しい。分かってるんだけど、気になってしょうがない。なんでこんな理不尽なことしてくるんだろう。泣く。うわあ。って言ってる友人たちがいて
 
やぎしは気にならない?やぎしだったらどーする?
そんなことを最近よく聞かれたりもするので。
 
悲しいとかなんか辛いとかそーゆーのはある。たまに。そんな時はうるうる泣いて友達によしよししてもらって解決。 でも基本的に、むかつくとか、態度変わってほしいとか、なんとかしてほしいとか思ったことはない。というか、思わないようになった。
 
心のもやって瞬間はある。でも、なんだろ。 別に言わせとけばいっかって。うん、そうかぁ。って受け止めちゃう。そんなふうにあなたは思うんだね。って。そんなことないのになぁ、って心では思うけど別にわかってもらおうとか、そんなぜいたくな気持ちにならない。許すとはまた違ってる。
けど、私がどう思おうが、その人の行動と考えと、発生した事実は変わらないしって思うようになった。
 
無関心なのか。そこには興味がないのか。
自分が何を思っても、どんなに反抗しようとしても、でも人の心は簡単には変わらなくて。ほんっとうに、他人に対して信じられないほど、ひとはすぐに理不尽になる。ひどく理不尽になる。それは私がどう思おうと、変えられない。受け止めるしかない。
だからひとには期待してない。はじめから私を楽しませようとか喜ばせようとか気を使おうとか、そんなこと思う人なんて、ほっっとんどいないんだ。だから期待してないんだと思う。ひとは他人。そんなふうに。
 
生きてて1番身近なひとが、事あるごとに、スーパー理不尽だったからさ、ひとはもっと簡単に、人に対して残酷になることだってあるよね。無意識のうちに、そのひとの勝手な常識で、自分が辛くなることだってある。だから 他の場面でも、いつ自分にスーパー理不尽ビームが向かうかなんて分かんないよね。って思って生きてるよん。
うっそ、まじかそんな感じか。ってそう感じるひとたちだってたくさんいるけど、ひとって、そんなもんなんだ。優しい人もたくさんいるけどでも、それは当然ではなくて、ほとんどすべてのひとは私に興味がない。私のために生きてるわけじゃない。
 
だからそんなひとたちに向かってイラオコプンスカブルータイムしてるのは、人生の無駄であるのではないか!万が一その愚痴が、回り回ってそのひとに届いたとしてもそいつの行動が変わることは万に一つもないでしょ。辛くて悩んでも、その分だけ状況がよくなるわけじゃないでしょう。って開き直らないとやってられない。イラオコして、グチりんまる。になるのは、自分も、それを聞いてる人も、いいことないじゃんね。(同じ被害を被っていて共感して仲良くなる場合は除く。しかしこの場合も根本的な状況が変わることはない)
 
まとめると、悲観はそこそこに諦めて受け止めて、自分がその中でどうするか考えるしかない。悲しいけど。これまでも、いくらあがいてもそうするしかなかった事例が山盛り。ひとの理不尽さをよく知ってるから、よくわからんひとに対しては諦めているから。
 
だがしかしばっと、そんな私にも大切な人たちはたくさんはいるからだいじょーぶだいじょーぶ。その人たちがちょこっとでも笑ってくださるようなネタをかんがえよーっと。
 
でもさ、ちょっとだけ俯瞰できて、感情シャットダウンできるならいいんだけどさ。その問題の人がまさかの自分のとっても大切な人だった場合、自分の気持ちとその人の言い分、どっちを大切にしたらいいんだろうな。そんなあ、って思うんだ。言ってることもわかるんだ。でもさ、それに従ってばかりいたら、結局また。
これはまだ、考えちゅう。たぶんしばらく考え中。だれか、教えてください。
 
そうやってそんな感じで、ダークでお花畑な八木氏の頭のなかです。
おわり、ではまた明日。